プラシーボ効果は「信じる」じゃなくて「条件付け」だろう

若島です

突然ですがプラシーボ効果の話。

ホレ、あれですよ、病は気からと申しましょうか、偽薬効果っていうやつ。疼痛なんか筆頭に、偽薬の投与でも1/3の人に効果があるという。この効果、代替療法の正当化なんかで過大に喧伝された面もあり、過信は禁物です。プラシーボ効果はなかった、という論文なんかも出ています。

それはいいすぎだろうという突っ込みはさておき、プラシーボ効果のことで、前から思っていたことがあるのです。しばしば、プラシーボ効果というと「これは薬なんだ、と信じることで効果がある」みたいに表現されます。暗示による、と。

でも、この効果、信じるどうこうではないと思うんですね。プラシーボ効果の論文には、「医者の門をくぐった」とか、それだけで効果が出るという話も出てきます。

さて、私も前に、虫歯が悪化して、それこそ死んだほうが楽じゃ~と、思うほど痛みに悶絶したことがありまして・・・

んで、そのときに、痛み止めの薬をパクリと飲んだわけですな。すると、なんと、のどを通過したかしないかという一瞬で、それまでやばかった激痛が、うそのように引いたのです!

私は当然、そんなすぐ薬効があるだなどとは全く信じません。この意味では、本当の薬ですが、偽薬であったとしても違いはありません。しかし効いたのです。ありえないほどすごく。

そういうわけで、プラシーボ効果は、思うとか信じるとかよりも、もっと脳と体の深い部分(この意味での「暗示」という表現なら不適切ではない)の問題なんだと考えます。どちからというと「条件付けによる効果」というほうがよいのではないかと思うのです。

ですから、治療が進まない人に対して、「きちんと治ると信じないとだめだよ」みたいなアドバイスが、プラシーボ効果を意識してのことならば、しないほうがいいと思うのでした。

ちないみに、個人的には、疼痛、風邪、喘息など、一緒くたに「プラシーボ効果」と呼ぶのが、この現象をわかりにくくしている問題だと思うのですが、どうだろう。