「錯覚・トリック」で伝えたかったもの
こんにちは。蒲田です。
ASIOS公式Webサイトの「錯覚・トリック」のページはお楽しみ頂けたでしょうか。これは、私が提案してサイトに追加させてもらったものです。概ね好評だったのですが、同内容のご指摘を複数の方から頂いたので、それについて返信してみようかと思います。
ご指摘頂いた趣旨は「紹介しているような錯視と日常的な状況の関係がわかりにくく、どう超常現象を信じることに結びつくのか記述が足りないのではないか?(または、全く別物なので関係あるとは思えない)」といったような内容です。
このご指摘はもっともだと思います。錯視のような錯覚が超常現象報告における見間違いの直接的な原因になることはあるかもしれませんが、そういった場面はかなり少ないのではないかと思います。そういった意味で、私もこのような錯視と超常現象を信じてしまうことの間には、抽象的な関係しか存在しないと考えています。
しかし、その抽象的な関係がとても大事だと考えています。錯視のページでは以下のステップを取ってもらいたいと考えていました。
- 普通に画像を見る
- 同じ色には見えない!色が変わっている!ゆがんでいる!と思う
- 錯視・錯覚だって言うけど、本当に違う色なのでは??ゆがんでいるのでは??と疑う
- 実際に説明の通りであることを、納得行くまで色々な方法で確認する
- 理解した上で、改めて見てみる
- それでも説明の通りには見えないよねと思う
大人になってしまうと、「実際に見えるものと現実が同一というわけではない」という説明を聞いたとき、特に実感していなくても「そうであること」を(なんとなく)知っているので、「まあ、そうだよねぇ」と頭だけで納得してしまうことがあると思います。
でも私は、そういった納得では心に染みないかなぁと思います。ページの最初で説明しているように「自分の目で見たものが、必ずしも現実通りでないこと」と、「道具を使わなければ」錯覚であると確かめられないことを、頭で理解して終わりにするのではなく、体験してもらいたいと考えたわけです。
「自分の目で見たものが、必ずしも現実通りでないこと」も、もちろん重要なところですが、「道具を使わなければ確かめられない」というのも大切なポイントです。人間は間違いやすい生き物ですが、そういった弱点を道具(余談ですけど、科学をそういう道具のひとつと考えても面白いかもしれませんよ。)で補うこともできるということです。
と言っても、そんなことを考えずに純粋に楽しんでもらえるだけで、なんらかの意味はあるんじゃないかな?と思ったりもします。そういう意味では、ジュニア・スケプティック的な方向性も意識してみた企画だったのです。
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策士
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