ロシアのヒグマ事件についての調査
こんにちは蒲田です。
少し前に ASIOS 宛のメールとして「ペトロパブロフスク熊事件」について調査をお願いできないか?というお問い合わせをいただきました。
問い合わせをくれた方が調べてみると、イギリスのタブロイド紙に辿り着き、それ以前のロシア語の情報を見つけられなかったとのことです。
日本でもヒグマに襲われたという報道は複数あり、その中でこの事件が引用されることがあるが、果たして伝えられている内容は信用できるのか?というもっともな疑問を抱かれたようです。
この事件はとても衝撃的でドラマチックです。事件の概要は以下のような感じです。
2011年8月13日、ロシアのカムチャツカ半島にある川のほとりで、観光で訪れていた19歳のオルガ・モスカリョワ(心理学者の研修生)と、彼女の継父イゴール・ツィガネンコフが巨大なヒグマに襲われた。
娘はヒグマに襲われている最中にも関わらず必死に母親のタチアナへ助けを求める電話をかけた。1時間にわたって通話を続けており、最後は自分の身体を食べられながらだったという。最後は小熊3頭も襲撃に加わった。
これが「ペトロパブロフスク熊事件」として知られていて、典型的な話はプレジデントオンラインの記事(1)で確認することができます。是非、本記事を読む前にプレジデントオンラインの記事をご覧ください。
超常現象ではないのですが、私も興味を持ち、真相が気になったので調べてみることにしました。
初期報道
調査によりロシアのニュースサイト『properm.ru』で報じられた「カムチャッカ半島で観光客を襲ったクマが2人を殺害」という記事を見つけることができました(2)。
これは2011年8月13日午後に報じられたニュースで、現地の第一報と考えられます。この記事から受ける印象は伝説とはだいぶ異なるものでした。
まず、死亡したのは男女とされ、彼らは友人グループと休暇を過ごしていたということだそうです。すぐに狩猟場管理者が派遣され、ヒグマは追跡・射殺されたという話です。
ここでは被害者の名前も関係も明らかになっておらず、電話の話も皆無です。
続く情報として見つけることができたのは、事件から2日後の8月15日、ラジオ・フリー・ヨーロッパ/ラジオ・リバティが、同局のロシア語サービスからの情報として報じたものです(3)。
この記事では男女の関係が親子関係であるということ、娘が19歳であることが明らかになりました。最初に襲われたのは父であり、娘が地元の森林管理官に電話をして助けを求めたという経緯です。親熊と3頭の小熊が射殺されたことにも触れられています。
ドラマチックな詳細の追加
非常に悲惨な事件ではあるものの、ここまでは一般的なヒグマ被害のニュースにとどまっています。
しかし、続く2011年8月17日に「モスクワのこだま」のブログに掲載された記事から事件は一気にドラマチックになりました(4)。
クマに襲われている最中の娘からの電話が何度も母親に掛けられ時間は1時間になったこと、電話での生々しい会話内容、二人と母親の本名、娘が心理学者の研修生であることなど、現在語られている殆どの詳細が追加されました。
「モスクワのこだま」はタブロイド紙ではなく政府独立系メディアで、その報道内容は信頼できるという評価を受けています。
ただし、ブログ記事はメディアの取材ではなく、一般のライターが無料で意見を掲載できるスペースとして開放されていたようです。編集部の事後チェックはあるものの、記事の信憑性はさほどコントロールされていなかったようなのです。
では、ライターの信用度が気になるところです。ヒグマの記事は、地元のジャーナリスト、イゴール・クラフチュクによる記事でした。
彼の他のブログ記事を読むとカムチャッカの事件に絡めて政府を批判する内容の記事がメインで、カムチャッカ愛とロシア政府への批判精神が記事を書くモチベーションになっているように感じました。
ゴシップを書くようなライターではなかったように見えます。ただ、他の記事との雰囲気の違いも強く感じるので、もしかしたら代理投稿ということは考えられないか?などという憶測もしてしまいました。
世界への展開
その後、この記事がロシア国内に留まらず国外にも伝わることとなりました。これに目をつけたイギリスのタブロイド紙であるデイリー・メール(5)やデイリー・エクスプレス(6)が事件を取り上げました。その後の報道はこれらの記事を元にしているようです。
しかし、改めてプレジデントオンライン(2023年3月18日)の記事を見ると、当時のイギリスのタブロイド紙にはないヒグマの歯に挟まった帽子の話など、至るところに様々な詳細が付け加えられています(1)。
これらの変化は、事件に対して詳細な追跡調査が行われたと考えるよりは、それらしい詳細を付け加えることでドラマチックな効果の増大を狙ったと考える方が妥当に思えてしまうのも正直なところです。
このようなドラマチックな詳細が時間の流れとともに付け加えられていくことは、超常現象の話題でもよくみられる傾向です。
初期報道との気になる差分と混乱
初期の報道と、ブログ記事(4)の間には気になる差異がみられます。
第一報(2)では死亡した男女は友人グループと休暇を過ごしていたと説明されていますが、詳細の語られているはずのブログ記事の方では友人グループの話は出てきません。
第二報(3)では、19歳の娘が地元の森林管理官に助けを求めて電話したことになっていますが、ブログ記事では母に対しての電話にしか触れていません。
これらの違いは、ブログ記事での創作を疑う根拠となります。しかし、ブログ記事のライターはでっち上げを積極的に行いそうにはないとも思えます。決定的な結論を出すにはまだまだ情報が足りないと考えた方が良いでしょう。
この記事を書いたイゴール氏は60歳過ぎぐらいの年齢なので、まだ存命でもおかしく無いと考えメールでのコミュニケーションを取ろうと考えたのですが、残念ながら2014年の事故で亡くなっているようでした(7)。ご冥福をお祈りいたします。
結論
タブロイド紙報道のもととなる事件は実際に起きたものでしたが、現在語られているドラマチックな詳細に関しては創作も紛れ込んでいる可能性があります。
14年前の事件であり、まだ関係者が存命である可能性は高い状況です。現地調査を行えば真相が判明する可能性は高いと思われるため今後の展開に期待したいところです。
もし、何か追加の情報を得た方がいらっしゃればコメント欄などで教えてください。
参考文献
- 「お母さん、ヒグマが私を食べている!」と電話で実況…人を襲わない熊が19歳女性をむさぼり食った恐ろしい理由
https://president.jp/articles/-/67145 - カムチャッカ半島で観光客を襲ったクマが2人を殺害
https://properm.ru/news/2011-08-13/na-kamchatke-napavshiy-na-turistov-medved-ubil-dvuh-chelovek-2781602 - ヒグマがロシア極東で男性と娘を殺害
https://www.rferl.org/a/bear_kills_man_daughter_in_russia/24297654.html - 人喰い熊
https://web.archive.org/web/20110921143646/http://echo.msk.ru/blog/garycravt/802968-echo/ - 「ママ、クマが私を食べている!」:ヒグマとその3頭の子グマに生きたまま食べられた19歳の女性の必死の最後の電話
https://www.dailymail.co.uk/news/article-2026914/Mum-bear-eating–Final-phone-calls-woman-19-eaten-alive-brown-bear-cubs.html - クマに襲われた少女、死ぬ前に母親に電話(NDTVの記事だが情報源はデイリー・エクスプレスとされている)
https://www.ndtv.com/world-news/girl-under-bear-attack-calls-mum-before-dying-464743 - 10年前、2人の著名なジャーナリストがカムチャッカ半島での事故で亡くなりました
https://city-pages.info/news/novosti-kamchatki/na-kamchatke-10-let-nazad-v-avarii-pogibli-dva-izvestnykh-zhurnalista/